過去にも放送されてましたが、2026年7月5日放送の「ノンフィクション」で再び注目を集めている「塙山キャバレー」。
番組では「存続の危機」が描かれ、長年地域に愛されてきた歓楽街が大きな転換期を迎えていることが紹介されました。
店舗数の減少など、そのほかにも様々な問題が起こっています。
長年愛され続けてきている塙山キャバレーの事を色々伝えていきたいと思います。
塙山キャバレーの
閉店した店はどれくらいあるのか?
今後はどうなるのか?
歴史について
塙山キャバレーの閉店した店はどれくらいあるのか?
現在に至るまで、閉店したお店は調べた限りなので全部ではないかも知れませんが17軒ありました。
以下に表記しました。
| あかね雲 | とまり木 |
| あーちゃん | のぼるちゃん(ラーメン屋) |
| いづみ | ひまわり |
| 永ちゃん | まゆみ |
| 俺の店 | 結友 |
| 紀泉 | よう子 |
| こころ | 酔った |
| 沢内村 | リンダ |
| ジーナ(フィリピン料理) |
そして現在営業している店舗は12軒までになりました。
以下に表記しました。
| 梨里 | ふじ |
| みき | なおちゃん |
| わいわい | 京子 |
| 蘭 | みんと |
| ゆみ | 塙山女子大学 |
| ラブ | めぐみ |
塙山キャバレーの全盛期(1960年代後半~1970年代頃)は24軒ほどのお店があったので、今は約半分に
なってしまいました。
お店が入れ替わった場合もあるし、お店の建物自体が無くなったケースもあります。
一つ一つのお店に思い出や人間模様があったかと思うと感慨深いです。
塙山キャバレーの今後はどうなるのか?
塙山キャバレーのお店自体も減少している中で、
現在、特に問題視されているのが立ち退き問題です。
番組では、2028年3月末で立ち退きになる可能性がママたちの間で広がっていることが紹介されています。
この話が話題になったのは、2026年塙山キャバレーにお店が新たに2店舗オープンしています。
「なおちゃん」と「塙山女子大学」が2026年にオープンしてるのですが、
契約満了日が、2028年3月末の契約内容でした。
そこから、2028年3月に一斉に塙山キャバレーのお店全てが立ち退きになるのではないかと噂になっていった経緯です。
しかし、現時点で「2028年に必ず閉鎖される」と決定したわけではありません。
ママたちは塙山キャバレーの営業継続を目指して活動しています。
その一環として6年ぶりに屋台祭りを開催し、塙山キャバレーを盛り上げていきました。
しかし、塙山キャバレーのお店のママたちの中には何十年もお店を切り盛りしてきているので年齢的にも高齢になり引き時を考えているママさんもいる状況です。
より一層のお店の縮小も懸念されています。
日立市の一文化としてこれからも盛り上げていってもらいたいですね。
塙山キャバレーの歴史について
始まりの1960年代~
塙山キャバレーの始まりは、1960年(昭和35年)頃とされています。
最初は何もない空き地のような所に1軒のバラック小屋が建てられたのが始まりです。
誰が最初に建てたのか不明で、正式な開設年も確認されていません。
日立市には、古くに鉱山があったので鉱工業が盛んになり高度経済成長期には、
どんどん工場が建てられて、発展していきました。
その間に1910年あの有名な日立製作所もでき発展とともに飲み屋街も活気づいていきました。同じように、塙山キャバレーもお店が増え最盛期には24店舗ほどあったようです。
駅前ではなく国道6号沿いに立地しているのも、工場帰りの利用者には便が良かったと思われます。
口コミで店が増え続け、昭和後半には小さな店が密集する独特の飲み屋街へと発展しました。
バブル崩壊の1990年代~
バブルが崩壊し、状況が変わっていきます。
工場の合理化などで日立市の人口が減っていき、自ずと塙山キャバレーに足を運ぶお客さんも減り
塙山キャバレーのお店も少しずつ減っていってしまいます。
東日本大震災の2011年~
2011年の東日本大震災では、日立市も大きな被害を受けました。
しかし、塙山キャバレーの建物は基礎が打たれていない簡易的な構造だったため、逆に大規模な倒壊を避けることができたようです。
この出来事も、「奇跡的に残った昭和の街」と呼ばれる理由の一つです。
今は存続の危機と言われてますが、昭和のレトロな景観や独特の文化は他に代えがたい価値があると思います。
ただ飲むだけではなく、人(お客さん)との交流や絆までできる関係性はそうそうできるものじゃないと思います。
塙山キャバレーの歴史がこれからも続いていけるよう切に願います。
同じくノンフィクション・塙山キャバレーで一見さんはお店に行けないのか?



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